婉曲な対話
Set me free. Why don’t you? Get out of my life. Why don’t you baby?
You realy don’t need me. You just keep me hangin`on.
You realy don’t want me, child. You just keep me hangin`on.
…You never never never needed me. You just keep me hangin`on.…
僕は浪人中で、居間の壁に父の予定を書き込むホワイトボードが掛かっていて、真夜中、その全面にロッド・スチュワートが歌う「You keep me hangin`on」の歌詞を書いた。何故そんなことをしたのか、よく分からなかったが、数十年経った今なら、合点がいく。
「俺を自由にしてくれ。お前は俺を本当に必要としていない。何故お前は俺を縛り続けるんだ?」
ヴァニラ・ファッジのオリジナル曲を、当時「世界一のロックシンガー」とも言われたロッド・スチュワートが、痛切に歌い上げる。
考えも意図も無い。多分「止むに止まれず」という衝動が僕にそれをさせたのだろう。何度も何度も聴いた曲だから、一気に殴り書きのように書いた。歌詞と当時の僕の心境がピタリと一致して、誰に向けたものかなど言わずもがな。
父は戦争の最中にティーンエイジを過ごしたから、英語は読めない。しかし、最後の方に書いた「New Start」という言葉は分かったようで、「ニュー、スタート…」とかなんとか独り言のように呟いた。またいつもの説教の方に持って行くのかと、僕は身構えたが、父の反応はそれだけだった。
「お前の新しいスタートに期待する」と素直に受け取っていいのではなかったか、と今は思う。
父と子の対話で、この時ほどうまくいったことは無い。
「嫌われる勇気」と「無意識の構造」
1900年に発表されたジグムント・フロイトの「夢判断」により、精神分析が始まった。僕たちは今、フロイトの元を離れたC.G.ユングとアルフレッド・アドラーから多くを学ぶことができる。
岸見一郎・古賀史健の「嫌われる勇気‥アドラーの教え」は、昨年の日経ビジネス書ランキング1位、現在でもベスト5に入っている。
アドラーについては、「フロイトの性に対してアドラーは権力」というステレオタイプな従来の説明の先入観から、なかなかこの本を手に取ろうとは思えなかった。
この本に縁ができたのは、大学生の息子を通してだ。
息子に河合隼雄の「無意識の構造」を紹介し、彼からはこのアドラーの本を勧められたが、聞き流していた。ところが、年末に著者の岸見一郎氏がテレビ東京のモーサテに出ていた。それで俄然興味を持って、息子の帰郷に合わせて読んだ。
あまりの内容に驚いた。そままノートにメモしながら読んだ。
学生の頃、「無意識の構造」がキッカケでユングと河合隼雄を知った。河合隼雄の著作は、ほとんど読んだ。
ユングは、合理主義に傾き過ぎたフロイトと別れ、独自の心理学を創始した(ユング心理学)が、曼荼羅や易経の研究等、東洋や未開民族の研究から多くの知見を得た。
例えばアメリカの相場専門家の有名な著書「ゾーン‥相場心理学入門」という本がある。訳者が前書きで「結局『明鏡止水の境地』ということだが‥」と書いていて、ナルホドと深く納得する。
だからといって、この本の価値を損なうことはない。言葉と行為が一致しないのは人間の常であるからだ。
我々はそれを一言で表現できるのに、西洋人は言葉を砕き論理的に延々と説明しないと気が済まないようだ。彼らにはそれほど神秘主義に陥ることを避けたい文化があるのだろう。
河合隼雄が晩年、長い研究の末到達したかのように語っていた共時性(synchronicity)は、「意味のある偶然」。コンステレーションは、(布置、配置、全体的な意味)と訳される。
しかし、そんな大層なことか、と思う。もうそんなの、我々日本人は体験的に分かっているよ、という感じだ。
河合隼雄は、戦争の反省から、合理主義者となった。数学から教育に転じ、米国とスイスで精神分析学を学び、帰国。東洋や日本を改めて眺め、多くの著書を残した。
彼は、ユングの思想やそこから見た日本文化等についての天才的な語り部であった。そういう意味では唯一無二の人であった。
日本の高度成長が曲がり角を迎えた1970年台以後、彼とともにカウンセリングが爆発的なブームとなり、日本でも一般的になった。
ユングの特徴の一つとして、西洋と東洋の融合や中国の思想への傾倒がよく言われる。神秘主義に傾き過ぎたということで、欧米のアカデミズムではほとんど評価されていない。
一方、アドラーの思想は、東洋思想のど真ん中、まるで仏教思想そのものではないか、と思える。
ユングやカウンセリングが日本で広まったのは、一重に河合隼雄の存在が大きかった。アドラーは、遅まきながら岸見一郎というよき語り部を得た。ブームはまだまだ続きそうだ。
以前の「嫌われる勇気」と河合隼雄を全面的に改訂したものです。